僕の音楽

学生のころは音楽まみれで音に浸る感じで、情報も雑誌などを読んで仕入れていましたが、会社に入ってからは聞き流す感じで、雑誌はおろか、買ったCDの解説すら読まない、と随分と接し方が変わってきたような気がしています。

CDに関しては、今でもBOOK OFFとかGEOの中古CD売場をうろついて、昔聴いていたころの歌手の名前を頼りに、あるいは聴いたこともない歌手のCDを物色して、よさそうなものを購入するのは続けています。

太めの「あらかん」が中古CDあさっているのを見かけたら、自分かもしれません。

聴いたことのない歌手の場合、最近はほとんど女性歌手、しかも黒人の女性歌手が多いのですが、CDのジャケット写真の雰囲気、あるいは歌手の容姿に惹かれて買う、というようなレーシャルハラスメント的、セクシャルハラスメント的選択基準で選んでいます。

試聴無しで、見知らぬ歌手のCDを買うので、不安はあります。

200円から1000円程度なので外れてもいいか、みたいなところもありますが、自分の場合、音楽に関しては最初に聴いたときに、今一と思っても、繰り返し聴いているとよくなってくると言う時があるのでそれも面白いところです。

アリシア・キーズ「Songs in A Minor」はジャケットに惹かれた一枚です。BOOK OFFで安かったのとジャケットの色具合の良さに惹かれて購入、気に入って、次のアルバム「As I AM」もゲットしました。

Songs in A Minor

昨年、来日したアリシアがテレビ出演していて、あっあれだ!って思ってたら、その時の紹介でグラミー賞を獲った歌手だと知って、えらく得した気分になったことがあります。

「Songs・・・」がデビューアルバムでグラミー賞を獲得したもののようです。BOOK OFFさん、値段の設定を間違えたんじゃないのかと思う程です。

ビヨンセはDestiny’s Childの時にはそれほど興味がなかったのにソロアルバムでグラミーを獲ったとことを知って、購入しました。このあと、放っておいたDestinyの CDも聴くようになりました。

Dangerously Love

ノラ・ジョーンズもグラミー賞受賞とラビ・シャンカールの娘と言うニュースで興味を持ちました。ラビ・シャンカールなんて偉く懐かしい名前でした。

Come Away With Me

敦賀に来る前にアメリカに時々行っていた頃からジャケットに惹かれてCDを買うというのが始まっていました。

タミア「A Nu Day」はその頃、ジャケットに引かれて買った一枚です。最初はなんとなく聴いていましたが、何回か聴いているうちに引き込まれてしまいました。

A Nu Day

ナタリー・コール【※追記】は当然名前も声も知っていましたが、「Snowfall on the Sahara」をそのころ買いました。

「A Song For You」はエルトンジョンの作品ですが全然違う仕上がりで出張先の田舎のモーテルの一室で夜中に聴いていると望郷の念というのか、たまらない気持ちになった記憶があります。

Snowfall on the Sahara

ちなみにナタリーのCDではお父さんの唄をカバーした「Unforgettable」もお気に入りのアルバムです。

こうして書いてきて、なんかジャズっぽいところからR&Bに偏ってる感じになりました。自分の聴いているのはもっとロックよりなんだけど、話がたどりつきませんでした。

山の話も続きになったように、僕の音楽も続きます。 唄のファイルをリンクに載せたけれど、著作権の問題があるので本当はいけないことのような気がします。個人用ということで勘弁していただき、2~3週間で消したいと思います。

【※追記】ナタリーコール逝去

bmr」の記事をお借りします。

「ナタリー・コールはR&Bからソウルからジャズ、ラテンまで幅広く活躍するグラミー授賞シンガーで、ジャズ界の巨人、ナット・キング・コール(Nat King Cole)の娘としても知られる。

現地時間2015年12月31日に65歳で亡くなった。

ナタリーはナット・キング・コールと、デューク・エリントンの楽団歌手だったマリア・コールのあいだに生まれる。

幼少期から偉大な音楽家たちに囲まれて育った影響もあって、11歳から本格的に歌うようになった。

「ナット・キング・コールの娘」ということでジャズの道を進むことが期待されたが、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)やジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)の影響を受け、R&B~ソウルやロックに傾倒するようになり、Capitol Recordsと契約して1975年に『Inseparable』でR&Bシンガーとしてアルバム・デビュー。

翌年のグラミー賞では最優秀新人賞などを獲得し、「ニュー・アレサ」などと呼ばれるなどその実力が認められるようになった。

同年発表した2作目『Natalie』でもグラミー賞を手にするなど人気歌手としての地位を確立するが、80年代に入るとドラッグに手を出すようになり、かつての勢いを失っていった。

しかしリハビリを経て、1991年、これまでコンサート等でも父ナット・キング・コールの曲のカバーを要求されても断ってきたナタリーが、父との疑似デュエット作『Unforgettable… with Love』をリリースすると、これが大ヒット。

このアルバム翌年のグラミー賞ではアルバム・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーなどに輝き、全米だけで700万枚以上を売り上げる自身最大のヒット作に。

この“復活”後はジャズ・シンガーとして新たな成功を収めていった。

また、2006年にはダラス・オースティン(Dallas Austin)をプロデューサーに迎え、久々にR&B~ソウル色を打ち出した『Leavin’』を発表したほか、2013年にはラテン・ポップ作品『Natalie Cole en Español』をリリースするといった意欲的な姿勢を見せていた。

自叙伝の中で過去にドラッグを使用していたことを認めているナタリー・コールは、2008年7月にC型肝炎であること、また腎臓の病気も患っていることを発表し、2009年には腎移植手術を受けていた。

こうした健康事情から、2008年頃からは病気等を理由にツアーや公演をキャンセルすることが度々あり、2008年6月の来日公演では車椅子でステージに上がるなど以前から体調が心配されていたがその後ふたたび元気な姿をステージで披露するなど快復。

2011年にはトニー・ベネット(Tony Bennett)のグラミー授賞作『Duets II』に参加、2013年には5年ぶりの新作『Natalie Cole en Español』をリリースし、2015年もテリ・リン・キャリントン(Terri Lyne Carrington)の最新作『The Mosaic Project: LOVE and SOUL』にゲスト参加するなど活動していた。

2015年10月にはまた体調が悪化し、11月と12月に予定していた公演を全てキャンセル。

現地時間で12月31日の夜、ロサンジェルスの病院にて「長年の健康問題による様々な要因が重なった結果」亡くなったと、遺族が発表した。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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