ブリジストン美術館の子供たち

11月4日、前週に引き続き、出光財団アートリサーチセンター(ARC)へ出向きます。

先週は「ワークショップ」でしたが、今日は「レクチャー」で、作業することはなく講演をお聴きするもの。

演題は「ブリジストン美術館の子供たち」。

ブリジストン美術館所蔵絵画のうち、子供を描いたルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」1876年、岸田劉生「麗子像」および関根正二「子供」の三点を採り上げて、お話を伺います。

講演は美術館学芸部長、貝塚健さんで、お人柄がにじみ出る、穏やかなお話ぶりでした。

今回のテーマの「子供の絵」に関し、貝塚さんのお嬢さんのお好きな子供の絵は、同じルノワールの「ジュリー・マネ、あるいは猫を抱く子供」と言うお話がありました。

ジュリー・マネはマネの実弟の娘さんで、姪っ子ということになりますが、すなわち、お母さんはベルト・モリゾなのだ、ということをお話の中で知りました。

ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども 1887年 オルセー美術館

マネの描いた「マネすみれの花束をつけたベルト・モリゾ」で感じた、強烈な意志の女のモリゾの子供にしては優しさが伝わって来て、面白いなと。

また、現在建設中の、新ブリジストン美術館についてもお話がありました。築62年を経て、構造的にボロボロになり、建て替えを余儀なくされた。

建設地の向かいのビルの一室を借りて、1時間に1枚、写真を撮っているのでだそうです。なんと気の遠くなるようなお話でびっくりしました。

マネすみれの花束をつけたベルト・モリゾ1874オルセー

現在は、地下部の工事が進んでいるだけで、地上部は立ち上がってきておらず、著しい変化はないのだと。

ビル自体の竣工予定は2019年の6月ということですが、建設直後の建物は打設したコンクリートからアンモニアが発生し、絵画に悪影響を与えるのだそうです。

竣工後、3ヶ月程アンモニアが抜けるのを待つ必要があり、開館は同年秋、と言うことになると言うお話でした。

①「ジョルジェット・シャルパンティエ嬢」

ルノワール「ジョルジェット嬢」はブリジストン美術館の絵葉書売り上げNo.1の売れっ子なのだそうです。自分は絵葉書ではなく、A4のコピーを購入、スケッチ用の額に入れて、飾っていました。

ルノワール’すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢’ 1876

千葉に帰ってきて、絵を飾るスペースが少なくなったため、今、ルノワールでは「踊り子」(1874年ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)を飾り、「ジョルジェット嬢」はお休みいただいています。

お話の中で、ジョルジェット嬢は何歳だと思われますか?との問いがありました。3歳半の孫の姿を思い浮かべ、4歳に手を上げましたが、正解でした。

ジョルジェットの父ジョルジュ・シャルパンティエは出版社社長、ルノワールの理解者で、競売会で、不評だったルノワールの絵20点のうち、3点を購入していた。

さらに、1876年、ルノワールを世の中に出そうと、試験的な意味を込めて、娘の絵を描くように、ルノワールに依頼したのがこの絵なのだそうです

ルノワール シャルパンティエ夫人像 1867-77

ルノワールは三角形構図、筆触分割などの持てる技術を駆使した印象派の特徴をよく表した絵となっている。

ジョルジェット嬢は第三回印象派展に出展され、ルノワールの名声を高めるきっかけとなった絵と言えるのだそうです。

さらにルノワールはシャルパンティエ家を題材として、同年に「シャルパンティエ夫人像」(オルセー蔵)、1878年に「シャルパンティエ婦人と子供たち」(メトロポリタン蔵)を描いている。

Pierre-Auguste_Renoir_シャルパンティエ夫人と子供たち_1878

メトロポリタンは1920年に約8000万円で購入したが、現在は100億円~120億円の価値があろうということでした。

2.岸田劉生「麗子像」1922年

岸田劉生は娘麗子(1914~1962)が4歳のころから肖像を描き始め、約50点を制作したのでそうです。

岸田劉生は麗子15歳の時に逝き、享年38歳であった。麗子は自身も画家となったが、父の画風とは趣の異なる作風であったようです。

岸田劉生 麗子像1921

国立東京博物館所蔵の「麗子(微笑 青果持てる)1921年10月15日」が一連の絵の中で、唯一重要文化財に指定されているとのことです。

我々が中学の美術の教科書で見ていたのは恐らくこの「微笑」なのだと思います。正直言うと、どこがいいのかという印象しか残っていませんでしたが….

劉生を師と仰ぎ、劉生の「草土社」の同人として共に進んだ、椿貞雄の展覧会を千葉市立美術館で鑑賞し、岸田劉生が色々な画風に挑んでいたことを知り驚きました。

岸田劉生 麗子像微笑青果もてる1921_10_15

麗子像で貝塚さんが感じることは以下の三点があげられるとのことでした。

娘の成長を見守る父の愛が感じられること、麗子は娘としてモデルとなることを苦とせずに、のびのびと父に協力したのだろ、娘を描き続けることで、娘の成長と劉生自身の画家としての進化がシンクロしていたのだろうと。

麗子も父よりは長生きだったものの46歳で人生を終えています。

3.関根正二「子供」

短命の画家、ということで、自分が今までに、いいな、と思った画家では、ブリジストン美術館で青木繁(28歳)、佐伯祐三(30歳)、ポーラ美術館で村山槐多(24歳)の作品がありました。

関根正二「子供」1919

青木繁の「海の幸」は確か中学の教科書に載っていたような気がするのですが、実物にブリジストン美術館でお目にかかった時に、感激もありましたが、何故か、もっともっと大きな作品と思い込んでいて、ちょっと意外に思ったことを覚えています。

関根正二は16歳で二科展に入選を果たし、20歳で逝くという、さらなる短命で、まさに夭折の画家という感じがします。

10代後半の画家生活の中で、30点の作品を遺し、最後の作品がこの「子供」で、新しい様式に挑戦し、未来への希望を描いた絵であるとのお話がありました。

また、この絵のサインは本名のmasajiとなっているのですが、このサインはデッサンでは使用していたものの、他の絵画ではS.Sekineと「せきねしょうじ」のサインを使用していた為、謎とされているのだそうです。

「ワークショップ」も面白いけど、「レクチャー」も面白い。多摩境まで2時間かかるけど、抽選に当たったら、ともかく出かけようと思います。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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