特別講演会「日展三山とその時代-杉山寧・高山辰雄・東山魁夷-」

東山魁夷記念館で「日本画三山 杉山寧・高山辰雄・東山魁夷~表紙絵の世界とデザインの魅力展」を鑑賞したのが12月22日。

その時に、関連の特別講演会「日展三山とその時代-杉山寧・高山辰雄・東山魁夷-」のちらしを見つけました。

12月24日(日)15時よりメディアパーク市川で開催、講演者:土屋禮一、高山由紀子。

今日、この記念館で申し込んでくれれば、受け付けてくれるということで、即、申し込んでしまいます。

会場は市川市中央図書館に併設されていて、最寄り駅は本八幡。

本八幡は以前、朝日新聞の土曜日特集「be」で、永井荷風の終焉の地で、晩年、一人暮らしをしていたところという記事があり、いつか歩いてみようと考えていたところです。

周辺歩きを兼ねて講演に臨みますが、これがちと歩き過ぎて、途中で睡魔が来て、少し苦労することになりました。

東山魁夷「緑の詩」芸術座緞帳原画リトグラフ

演者の土屋禮一さんは「日本画三山」御三方と知己であったという日本画家、高山由紀子さんは高山辰雄の長女で、脚本家。お二人に東山魁夷記念館の石田学芸員がインタビューしながら進行すると言う形でした。

高山由紀子さんは脚本家として「メカゴジラの逆襲」(1975年)でデビュー。

続けて、「月山」(1979年)「遠野物語」(1982年)、さらに監督として「娘道成寺 蛇炎の恋」(2004年、脚本も担当)などとご活躍されている他、小説も手がけておられるのだそうです。(「源氏物語 悲しみの皇子」)

東山魁夷 六代目歌右衛門「助六」揚巻衣装

講演は事前調整もされたご様子で、内容は充実していて面白かったのですが、お二人の話の中に人の名前がポンポンでてきて、それも姓が省略されているので、ただでさえ日本画周辺の知識が乏しいところに、追いていけないところありました。

高山さんの父親の思い出で印象に残った話があります。

高山辰雄はどこに行くにも大きなスケッチブックを持ち歩いていた。娘から見るといつも絵から逃れられない、重荷を背負っているようで、気の毒で耐えられない思いがあった。

杉山寧「鯉」1959

由紀子さんが家族旅行を企画したときに、父親にスケッチブックを持ってくることを禁じ、父はそれに従ったが寂しそうで、悪いことをしたと後悔した、というお話を。

土屋さんが、思い出したようにそれに関連したお話をします。

高山辰雄が若い頃、先輩画家の川崎小虎と一緒に出かけた時に、スケッチブックを忘れ、川崎小虎から「画家がスケッチブックを忘れることは、侍が刀を忘れたことと同じだ。」と言われたのだと。

それ以来、高山はどこへ行くのにも、スケッチブックを手放さないようになったと言うことを聞いたことがあると。由紀子さんは初めて聞くお話だったようで、驚いておられました。

高山辰雄「鳩」1988個人的に好きな絵です。

今回の展覧会は表紙絵がテーマになっていました。

『文藝春秋』の表紙絵は鏑木清方、安田曾太郎、梅原龍三郎、藤田嗣治、橋本関雪、竹内栖鳳、川合玉堂、川端龍子、平松礼二等、そうそうたる画家達が担当した。ということは寡聞にして知りませんでした。

1955年(昭和30)、それまで担当していた安井曽太郎が亡り、後任として当時まだ気鋭の日本画家だった杉山寧が引き継ぎます。

杉山は、1956年(昭和31)4月号から1986年(昭和61)12月号まで、期間にして30年9ヶ月という長期にわたって担当し、制作された原画の点数は369点になるとのことです。

杉山寧「穹」1964

高山辰雄は、杉山の後を受け、1987年(昭和62)1月~1999年(平成11)12月まで担当し、13年の期間に56点を制作した。

『保健同人』誌(現在は『暮しと健康』)という雑誌は知りませんでしたが、結核の闘病経験に基づいて大渡順二が結核療養の啓蒙誌として創刊したもので、兄弟を結核で亡くした東山魁夷がその意義を感じて、創立の1946年(昭和21)から1951年(昭和26)まで、表紙を担当。

高山辰雄「保健同人」表紙

『保健同人』についても東山から引き継ぎ、高山辰雄が1年間ほど担当して、11枚を描いています。人物画が多いのですが、いいなと思いました。

東山魁夷はこの他に『新潮』、『日本』の表紙も担当していたのだそうです。

表紙絵というのは大きい絵を描いて、縮小しているのかと思っていましたが、実際の表紙絵は17.7cm×17.7cmの大きさで、意外な感じでした。

東山魁夷「冬華」1964

本絵を描く時と表紙絵を描く時の画家の気持ちは少し異なり、発想を変えて描いていると思う、とのお話がありました。

東山魁夷、杉山寧、髙山辰雄は互いにライバルとして意識し、競い合っており、昭和30年代に入ると、日展において、中堅作家の代表たる彼らの作品は三作が並んで展示され、日展三山と呼ばれるようになり、人気が高まったのだそうです。

高山辰雄「穹」1964

1964年の日展で、奇しくも三山の空を描いた絵が3点並び、話題になったようです。

杉山寧夫人が杉山寧のスフィインクスがお二人の描いた月と太陽の光をいただいている様であったと、語っておられたと言うお話が由紀子さんからありました。

下のような展示だったのかと…(順番は違うのかもしれません)

講演会の後にお隣にある市川文学ミュージアムで『KAFU-永井荷風の見つめた女性達』展を面白く拝観しました。

講演会会場入り口
くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA