近くの蕎麦屋さんで、うどんをいただき、さあ平安神宮、と歩き出すと、無鄰庵の案内があります。大分疲れてきていましたが、脚が自然に向かいます。
無鄰菴は山縣有朋が明治29年(1896)に造営した別荘。
鄰は隣と同義であり、隣家のない閑静な場所と言う意味で、山縣の故郷の長州、下関の草庵につけた名前を元としているのだそうです。山縣の構想を基に平安神宮神苑、円山公園等多数の造園を手がけた第7代小川治兵衛が作庭した。
東山を借景として、琵琶湖疎水を引き込んだ池泉回遊式庭園、とのこと。
母屋の前にある池は余り目立つ造りではなく、広い庭の彼方から池に注ぐせせらぎ沿いにゆったりと歩いていくと、お茶室に行き当たります。
日露戦争開戦を前にして、時の桂総理が山縣、伊藤博文に対して開戦の同意を求めた「無鄰庵会議」が行われた部屋が展示されていました。
ようやく京都市美術館にたどり着きますが、疲れがピークとなって、美術館の脇の桜と芝生に囲まれたところに崩れ落ちるように座りこんで暫く立てなくなります。
もう、今日中に平野神社にたどり着くのは到底不可能とあきらめましたが、平安神宮を目の前にしているのに立てない。
この後、閉門ぎりぎりに訪れた神苑の桜があんなに見事だと知っていたら、行動は違っていたと思いますが・・・
疎水沿いの桜並木の下に、次から次と現れる中国語、韓国語の和服カップルが自撮りしているのを眺めつつ、うつらうつらして時を過ごしてしまいました。