春日大社にたどり着くと、さらに人が増えます。
団体さんが多くなったこともありますが、七五三の親子連れ、じっちゃん、ばっちゃんがさらに加わった、家族連れが専用の受付にぞろぞろと列をなすように歩いています。
大社の公式サイトの記述をお借りして、お勉強。
春日大社は、今から1300年前、遠く、鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えしたことに始まる。
本殿の右脇を登って行くと、それ以上は禁則となっており、入り口のところに御蓋山山頂の遙拝場がありました。
やがて天平時代、神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、現在の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命(フツヌシノカミ)、また枚岡神社から天児屋根命(アメノコヤネノミコト:別名春日権現)・比売神(ヒメガミ)をお招きし、あわせてお祀り申しあげた。
武甕槌命・経津主命は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治められた功績ある神様である。
また天児屋根命は神事と政治を守り導かれる神様として、比売神は天照大御神とも、天児屋根命様の妃神とも伝えられています。
この四柱の神々様は、それぞれが春日造※の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神と申しあげてまいりました。
※春日造り:屋根が曲線を描いた屋根で構成される切妻造り、妻入り様式(妻側に庇のある入り口を持、庇は屋根と一体化されている)の建築。
特別参観に申し込みますが、特に説明があるわけでもなく、人波にもまれて拝殿に沿って歩いて、終わりという感じでした。
春日大社というと一之鳥居から本殿および摂社、末社を含め、春日山を背景とした、広大な広がりを持った神社というイメージですが、本殿周辺に限定すると、山の中腹に密集して建立された感じで、それほど、という印象がありました。
春日大社から新薬師寺に向かう途中に多くの摂社が有りましたが、若宮神社、夫婦大國社、金竜神社をお詣りして、後はスルーしてしまいました。
後で確認すると若宮15社を歩くと、春日明神遙拝所、牧岡神社遙拝所、伊勢神宮遙拝所などの記述があり、きちんとお詣りしなければ行けなかったかと、反省。
それにしても、千葉県人にはなじみのある鹿島神宮、香取神宮から神をお招きしたって鹿島、香取両神宮の歴史の重みを強く感じました。
今回、二月堂、三月堂から奈良公園の縁を周回するような形で春日大社にお詣りしたわけですが、春日大社のお詣りを目的とするなら、やはり一之鳥居から歩くべきという気がしました。
またいずれ、ということで、新薬師寺に向かいます。