全員集合して、ガイドマイクの電源を入れろと。
ヴァザーリは基本的には日本人ガイド単独のツアが許されないようで、英語説明のガイドになります。
ウフィツィとセットのツアだと日本人アシストが着く可能性があるみたいですが、ウフィツィに限らず、美術館はガイドのタイムスケールでなく、自分勝手に歩きたいので、ヴァザーリだけのツアにした経緯があります。
ご一行サンはウフィツィの入館の行列の傍らを通って美術館に入って行きます。
美術館の3階にたどり着いた時に、この通路を集合場所まで歩けという説明は解りました・・・
3階のその集合場所にヴァザーリ回廊の入り口があり、そこから本来のツアが始まるということが理解できていませんでした。
というところで、危うく、ツアから取りこぼされそうになります。
きちんと理解していれば、ともかくガイドの後を着いていき、ヴァザーリの入り口に到達する必要があったわけですが、明日来る予定にしている、ウフィツィに簡単に入れてしまって、くまさん、興奮。
通路や通路にある彫刻の写真を撮ったり、部屋を覗いてイコンを見たりと寄り道してしまいます。
そのうちガイドマイクの声が聞こえなくなり、少々焦って、合流しようと先を急ぎます。
再び、微かに声が聞こえ始めてきて、日本人のペアともう一人が来ていないなどの声が聞こえてきました。
集合場所には回廊の説明者であるエリザベスさんが待機しています。
ニンナ通りの集合場所の係員はここで交代。
そうなら最初にちゃんと説明しろよって、ちゃんと説明していたのかもしれないけど、聴き取れずに、ウフィツィ鑑賞に走ったのは私です・・・
ともかく合流して、「日本人ペア居ま~す」と。
ヴァザーリの入り口を通り、階段を下りていくと、そこは我々ツアのグループしか居らず、ウフィツィ通路の喧噪から隔絶されます。
翌日、改めてウフィツィを回ったのですが、ヴァザーリの入り口から少し歩くと、ミケランジェロ、ボッチチェリの展示室があることを知り、喧噪の最たる所に居たのかと納得でした。
ヴァザーリ回廊はアルノ川の氾濫、火災などで何回かの損害を被り、火災の跡の絵画が展示されていることの説明が最初にありました。
この火災は、マフィアのテロによるものであったらしい・・・そう言えば、検事がマフィアに爆死させられたという事件を思い出しました。
1980年代~1993年にイタリアでは国家対マフィアと言うべき抗争があったのだそうです。
反マフィア活動の先頭に立っていた治安判事(報道で記憶していたのは検事でしたが、今確認すると記載は治安判事になっています。)をねらった爆破テロが頻発。
1992年、著名なファルコ-ネ、ボッサリーニ等の判事達が相継いで爆破テロにより絶命した。
1993年、ヴァザーリを破壊した爆発は、マフィアに対抗する地裁関係者はいなかったもので、一般人が犠牲になったらしい。
さらにいくつかの爆破事件はあったものの、なぜか、翌1954年、ベルルスコーニが大統領に就任した年以降、マフィアのテロは途絶えることになったのだと。
ベルルスコーニはマフィアとの関連が噂されており、ファルコ-ネ、ボッサリーニも関心を持っていた人物であったようです。って、なんか鳥肌が・・・
回廊の絵画の後半は自画像のオンパレードになります。
肖像画は下のコジモ2世の子供、レオポルド・デ・メジチのコレクションが元になっていて、後年の画家達の自画像が集められているのだそうです。
名前の通った画家の他に、自分で面白いなと思った肖像画をちょっと調子にのって載せてしまいました。
デューラーのお茶目な顔も、面白いけど、近年の人の肖像画が味があっていいなと思います。
※絵の写真はクリックしてもおおきくなりません。画家の名前の読み方は自分流なので、間違いがあると思います。