大学浪人時代に聴いていたイムジチの「四季」をきっかけに、ちょっとバロックを聴きかじり、大学初期の頃は、バロック喫茶(というのが昔はありました・・・)で時々時間をつぶしたりしていました。
そのうち、主に雀荘に、他は「レノン」という名前から内容が想像できる喫茶店に出没するようになりました。
レノンには大学の友人もいましたが、学校以外の友人もできる場になりました。
学校でも、周りに音楽が好きな人間が結構いて、数少ないレコードを交換しあって、自分の守備範囲が広がって行きます。
なかにはブルースが好きで、持っているレコードの数も半端じゃない人間もいて、色々教えてもらいました。
さすがに「ハマっ子」っていう感じでした。
範囲が広がったと言っても、世間でヒットしてたものが主体で、あまり通が聴くようなものではありません。
・・・・クリーム、ツェッペリン、ヤードバーズ、パープル、キンクス、アニマルズ、テンイヤーズ、フー、クリムゾン、ピンクフロイド、ムーディブルース、EL&P、ELO、フェイセス、トラフィック、ブラインドフェイス、サバス、フリー、ドアーズ、BS&T、CSN&Y、D&B、グランドファンク、クリーデンス、オールマン、スリードッグ、ドゥービー、バンド、ポコ、バーズ、ジェファーソン、ヴァニラファッジ、ジミヘン、サンタナ、シカゴ、コッカー、レオン・ラッセル、ジャクソン・ブラウン、ジェームズ・テーラー、ジョニ・ミッチッェル、マーク・ベノ、ジャニス・ジョプリン、ジャニス・イアン、ニルソン・・・・(略称は自己流でめちゃくちゃです。)
モアポピュラーだとビートルズ、ストーンズ、サイモン&ガーファンクル、ビーチボーイズ・・・
ここはクリームかツェッペリンかなとYou Tube見てたら、テンイヤーズアフターの「I Woke Up This Morning」がありました。
それ程入れ込んでたグループではないけど、この曲は好きでした。ギターの古そうな感じの音も含めて懐かしいです。
ブルースというと、BB.キングとか、バディ・ガイとかロックの人と交わりがある人の音楽は聴くことはありましたが、初期のブルースにはちょっとついていけない感じでした。
最近、ロバート・ジョンソンの日本盤3枚組CD「コンプリート レコーディングス」を買いました。
「Cross Road Bluse」、「Sweet Home Chicago」、「Com’on in My Kichen」など・・・ロックの誰かで聴いた唄が並んでいます。
歳とったせいなのか、ただ単に、音楽の傾向が変わって来ただけなのか、あるいは深まる秋のせいか・・・心に響きます。
40年前にブルースにハマっていた「ハマっ子」は、会社に入ってから休みもらって、ブルース求めて1人でニューオリンズを彷徨ったりしてましたが、その後は結構、普通のサラリーマンしてました。
もうあいつも定年だけど・・・
大学の仲間うちでは、「ニューミュージック マガジン」が浸透し始めて、読んでいないと話題についていけない様な状況になり、毎号購読するようになります。
「ニューミュージック・・」を知る前だったのか、その後も時々読んでいたのか思い出せないのですが、周りが無視する「ミュージックライフ」を目を通していたときも有ったようです。
実は、今でも記憶に残っているのは「ニューミュージック・・」の方でなくて「ミュージックライフ」の記事です。
「フリーの新宿でのエキセントリックライブ」と「ジミー・ページのインタビュー」記事でした。
前者はポール・ロジャーズの話の時に書きましたが、地方都市に居たゆえにそういう現場に立ち会えないつまらなさを感じました。
グランドファンクレイルロードの雨の後楽園ライブでは椅子の上で飛び跳ねていましたが・・
ジミー・ページのインタビュー記事、と言っても覚えているのは2箇所だけなんですが・・・
記憶している一つ目のインタビューは、どんな友人が居るの?みたいな部分だったと思うのですが・・・
「アメリカで自分の名前のバンドやっているジョー・ウォルシュってのがいる。」というような記述でした。
ウォルシュは後に、イーグルスのリードギターに迎えられ、ヒットアルバムの製作に参加しています。
2つ目は、家ではどんな音楽を聴いているの?っていう質問でした。
「バート・ヤンシュのアコースティックギターを聴いているよ。」 と、その時、バート・ヤンシュの名前は知りませんでした。
この話を「ハマっ子」に話したら、「これだよ。」って出してきたのがバート・ヤンシュとジョン・レンボーンの結成したペンタングルのファーストアルバムでした。
ペンタングルはブリティッシュ トラディッショナルと呼ばれるフォークグループに分類されるようです。
曲もトラッドを題材にしているものが多いのかも知れませんが、借りてきたレコードは、ギターのヤンシュとレンボーンの張り合いとベース、ドラム、ジャッキー・マクシーのボーカルの5人が、それこそ5角形の関係で競い合い引っ張り合う、緊張感溢れる1枚でした。
その後のアルバムはどちらかと言うと、緊張感というよりひたすらトラッドを追求すると言う感じで、バート・ヤンシュのぶれないトラッド指向のアルバムが続きました。
ブリティッシュ・トラッドという範疇ではサンディー・デニーの居たフェアポート・コンベンション、サンディーの抜けた後のフェアポート・コンベンション、抜けたサンディがその後結成したフォザリンゲイなどを聴いていました。
サンディ・デ二ーの唄を聴いていると風の吹き荒れるスコットランドの荒野の中を彷徨っている芝居の主人公のような気分になります。(・・・って、わけが判らない?)これがブリティッシュ・トラッド特有の唄い方によるものなのか、彼女の声そのものがそう感じさせるのかよく判らないのですが・・・
ジミー・ページは4枚目のアルバムの「限りなき戦い」でロバート・プラントとサンディーをからませます。
ページはヤンシュのギターに着目しているのと同時にトラッドにも興味があったということなのかと思います。
フェアポートの仲間で甘い声のイアン・マシューズが結成したマシューズ・サザンコンフォートも聴いていました。トラッドにはこだわらないマシューズの優しい世界を追求すると言う感じでした。
ちなみに「サザンコンフォート」はジャニス・ジョプリンが愛したお酒の名前で、舞台にはいつも用意されていたそうです・・
一度試しましたが自分には合わないなと言う感覚だけ覚えています。・・
さらに・・・「You Keep Me Hanging On」という曲で日本でも大ヒットしたヴァニラ・ファッジ。
アメリカの食品スーパーでヴァニラ・ファッジというお菓子を見つけた時にはちょっと興奮して思わず買ってしまいました。甘くて甘くて、とても食べられる代物ではありませんでした。
以前、ネットで探してもヴァニラ・ファッジは見当らず、チョコ・ファッジの写真を載せたのですが、今回念のために再度探したら、なんと、英国の輸入菓子の紹介が多数ありましたし、レシピまで載っているサイトがありました。(ヴァニラ・ファッジのレシピ)
脱線しました。このほかにもトラッドにはスティール・アイ・スパン、アン・ブリッグスなどがいますが深く聴くまでは至りませんでした。
ブラザース・フォーから始まった自分の音楽歴は、範疇としては随分広い音楽を聴くようになりましたが、結局気がつくとアコースティックの世界というかフォークが根底にあるのかなと思います。
また、楽器の音色は何でも好きですが、最後にはギターに惹かれてしまうというのも、やはり出発点に関係があるのかなと思います。
ただし、自分の指の短さをうらみつつ、ギターを自分で演奏することはあきらて、聴く専門になっています。
※この記事を作成した時点でツェッペリンのジョン・ボーナム、フリーのポール・コソフおよびロバート・ジョンソン、サンディ・デニー、サンディの旦那でFortheringayを一緒に立ち上げたトレヴァー・ルーカスは既に故人でした。
その後、テン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リー、ペンタングルのバート・ヤンシュに続き、ジョン・レンボーン、フリーのアンディ・フレーザー、B.B.キングが亡くなってしまいました。寂しいです。
アルヴィン・リー、アンディ・フレーザー、ジョン・レンボーンおよび学生時代には聴いていなかったので、この記事にはでてこないけどジョニー・ウィンターの訃報の記事を下記に追記しました。
※アルヴィン・リー逝去(CNN 2013年3月10日)
http://www.cnn.co.jp/showbiz/35029312.html
1960~1970年代に人気を集めた英国のブルース・ロックバンド「テン・イヤーズ・アフター」を率いていたギタリスト、アルビン・リーさんが3月6日に死去したことがわかった。リーさんの公式サイトが明らかにした。68歳だった。
詳しい死因は不明だが、通常の手術後に起きた「予期せぬ合併症」としている。死去を伝えるサイトのメッセージには娘や妻、前妻の署名が添えられた。
リーさんは1944年、イングランドのノッティンガム生まれ。「テン・イヤーズ・アフター」は米国で69年に開かれたウッドストック音楽祭で曲「I’m Going Home」を披露し、リーさんのギター速弾きテクニックなどが注目を集めた。
この演奏などでリーさんは、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジら英国が輩出した著名なロックギタリストと並び称されるようになった。
リーさんはその後、ソロ活動を行い、昨年8月には新作アルバム「Still On The Road to Freedom」を発表していた。
※フリーのベーシスト、アンディ・フレイザーが他界
http://ro69.jp/news/detail/120747
フリーのベースのアンディ・フレイザーが他界した。アンディはがんとエイズとの闘病を続けていたが、直接の死因は明らかになっていない。アンディはロンドン出身だが、カリフォルニアにある自宅で3月16日に息を引き取ったという。享年62だった。
アンディはエリック・クラプトンやミック・テイラーらも在籍したジョン・メイオール率いるザ・ブルースブレイカーズで活躍した後、まだ15歳だった1968年にポール・ロジャースらとともにフリーを結成した。
フリーでは1970年の大ヒット曲”オール・ライト・ナウ”を共作するなど活躍したが、72年に脱退してギタリストのクリス・スペディングとザ・シャークスを結成した。その後はアンディ・フレイザー・バンドも結成したが、やがてアメリカに渡り、ロバート・パーマー、ジョー・コッカー、ロッド・スチュワートらに楽曲を提供していた。
アメリカのブルース・ロック・ギタリストのジョー・ボナマッサは次のように追悼ツイートしている。
「アンディ・フレイザーの訃報を知ってとてつもなく悲しい。最も偉大なミュージシャンの一人だったし、友人と呼べる間柄だったことを誇りに思っています」
昨年グライド誌の取材でアンディは人身売買の撲滅活動を支援するロック・アゲインスト・トラフィッキングに加わっていることを次のように語っていた。
「これはどうしてもやらなければならない活動のひとつなんだよ。どうしても目を背けることのできない使命みたいなものなんだ。一度知ったら、もう知らないふりをしてディズニーランドのままだという顔をしてはいられないんだよ。ぼくたちが関わっている大きな、大きなプロジェクトで、とても実のある活動になっていくと思ってるよ。各国の政府にも関わってもらうつもりだし。みんなの顔につきつけていくつもりだから」
フリーの”オール・ライト・ナウ”はこちらから。
※ジョニー・ウィンター氏死去 米ブルースギタリスト
ジョニー・ウィンター氏(米ブルースギタリスト)16日、スイス・チューリヒのホテルで死去、70歳。死因は不明。AP通信によると、ツアーで欧州を訪れていた。
1969年に行われた歴史的なロックコンサート、ウッドストック音楽祭にも出演。ブルースの代表的なギタリストの一人として知られた。「ブルースの父」といわれた故マディ・ウォーターズさんの作品もプロデュースした。(ジュネーブ=共同)
ペンタングルのジョン・レンボーン死去
2015年3月28日
ペンダングルのジョン・レンボーンが70歳で死去した。ジョンは26日(木)、スコットランドのホーイックにある自宅で心臓発作とみられる症状で死亡しているところを警察によって発見された。
前夜に予定されていたグラスゴーでの公演に姿を現さなかったことを心配した同僚が警察に通報したことで発見に至ったという。
ペンタングルのギタリストとして知られていたジョンだが、ソロアーティストとしても活躍の場を広げており、2011年には最後の作品となった『パレルモ・スノー』をリリースしていた。
ジョンのマネージャーを25年間に渡って務めたデイヴ・スミスは「彼はまさに伝説的人物でした。何に対してもやる気がある人で、ウィズ・ジョーンズとのツアーを終えるところで、次の活動を楽しみにしていました。
彼は素晴らしいギター教師でもありました。週末には講師としてヨーロッパ中のワークショップを回って生徒達に教えていたものです」とその人物像を振り返った。
ジョンは2011年に他界したバート・ヤンシュと共にペンタングルを1967年に発足したが、デイヴはジョンのソロ活動はペンタングルとしての活動同様に重要だったと続ける。
「もちろんペンタングルがきっかけでジョンは有名になりました」「しかしソロ活動は長年続いてきたものです。とても特別な音楽のため、大反響を受けることはありませんでしたが、その影響力のある演奏スタイルによって世界的なファン層を獲得していたのです」
フォーク界の大御所であるジョンには数々の追悼メッセージが寄せられており、セリーズ・マシューズはジョンが素敵な男性であったと悲しみのツイートをしている。
「ジョン・レンボーンが亡くなったと聞いてとても悲しいです。とても愛情豊かな素敵な男性でした。ジョン、安らかにお眠りください。あなたと知り合いになれて光栄でした」(BANG Media International)