自分にとって、今回のフィレンツェは、今まであまり、関心のなかった、宗教画について随分と心惹かれることになった旅行であったかと思っています。
自分から、フィレンツェ滞在旅行を提案したのですが、大分以前にテレビで見たメディチ家の庭園に憧れて、ということが大きな理由で、特に、ルネッサンスの美術に触れたいと言う気持ちは薄かったと思います。
印象派以前の絵は、歴史画、宗教画といったところが多い感じで、描かれているテーマが自分には遠い世界のことで、よく判らない。
歴史や、聖書を読まないと絵が判らないというのは自分にとっては要らない、というところだったのですが・・・
まあ、考えてみると印象派以降の絵はテーマが身近に思えるというだけで、画家が何を描こうとしているのかなんて、自分には判っていないということでは同じなのかなと。
さらには、お寺だって、仏像だって、宗派の違いも、仏像の種類の違いもよく解らずに、有り難がっている自分なのに、なにが違うのかと・・・
実は、半年程ツンドクしてあった、東京大学、三浦篤先生の著作「まなざしのレッスン①西洋伝統絵画」をバッグに入れてありました。
飛行機の中で読もうと思っていたのですが、結局、映画と大半は睡眠で終始し、本は開いたかなと言うくらいで、帰国してしまいました。
帰ってから読み始めて、驚きました。
まさに、今回のフィレンツェ、ローマの美術館巡りのための解説本みたいなもので、神話の世界から、宗教画の世界についての見方が詳細に記載されていました。
少し詳細に過ぎる感じで、いささか逆らいたくなるところもあるのですが、それにしても、俺は何をやっているのかと・・・その話は次回に。
「まなざし」のレッスンを受けていない、くまでしたが、今回、美術館と教会を多く訪れて、宗教画に関しては、どこにでも共通しているテーマがあることを感じました。
「受胎告知」、「マリア像」、マリアがイエスを抱いた「聖母子」、十字架に磔となっている「イエス」というところでしょうか。
磔のイエスの頭に、必ず、「INRI」と記載されているのが気になり、ネットで調べました。
十字架に「罪状」が記載されていたもので、「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)」の頭を綴ったもので、イエスが自らを神の子でありユダヤ人の王であると称し、神を冒涜したとの罪状という意味ということでした。
実は、当然のことですが、これも「・・・レッスン」の中に説明がありました。反省(-_-)
この他にも、イエスの亡骸を抱きながら嘆いている、マリア達を描いた「ピエタ」も多かったように思います。
自分の中で、ウフィツィで一番感銘を受けたの
は、ダヴィンチの「受胎告知」でしたが、今回の旅行全体の中で、テーマとして頭の中に、染みついたのが、「聖母子」でした。パラティーナで載せた、ラファエロの「聖母子」も含めて・・・
ウフィツィに入り、前日のヴァザーリ回廊の時と同じ様に、まず、3階まで階段を上がり、12世紀、13世紀の宗教画のエリアから歩き始めます。
金色をバックにした宗教画を、アイコンの語源である「イコン」と呼ぶ物と思っていましたが、Wikipediaを見ると、「イコン」は(ギリシャ)正教の場合に使用する言葉であり、正規にはカトリックでは「イコン」を使用しないとありました。
どうもイコンの定義は曖昧なので、余り使用しない方がよさそうですが・・と、それはともかく、昔、素通りしていた、宗教画なのですが、最近、なんとなく面白くなりつつあります。
今回はウフィツィで見た初期の聖母子像を集めて見たのですが、ボッチチェリ、その師匠のリッピのマドンナも人間的でいいなと思うのですが・・・
なぜかわからないのですが、1200年、1300年頃の金色に輝くいわゆる「イコン」に、惹かれつつある自分が居て、何なのでしょうか?