ボッチチェリの部屋はかなりの混み具合でした。
日本の展覧会だと、鑑賞の順路が決まっていて、見たい絵に近づくためには列を造って、前の人が動いてくれるのを辛抱強く待って、少しずつ進み、好みの絵の前に来るともう、絶対動かないぞと立ち止まり、絵に穴が開くほど、見つめることになります。
ウフィツィはもともとオフィス(ウフィツィ)であったということで、入り口は一つしかない大きな部屋で、主として、入り口以外の3面に主要な絵が飾られおり、部屋に入るとお客は好きな絵から見始めることができます。
まあ、当然、他の人の頭越しになりますが・・・
右の壁に「春(プリマベーラ)」と「誹謗(ラ・カルンニア)」が並び、「ヴィーナスの誕生」が部屋の奥の壁の中央にありました。位置的にいうと「ヴィーナスの誕生」が一番の目玉ということなのでしょうか。
美術的評価は判らないのですが、自分の好みとしては「春」が構図といい、色合いといい一番、落ち着くような気がします。
前回、参照させていただいた「まなざしのレッスン」を再び参考にさせていただきます。
「ヴィーナス」は第2章神話画Ⅰで触れられていますが、神話の神々のアットリビュートの項にでてきます。
アットリビュートは、神々の特徴を示す象徴的な添え物というのでしょうか・・・
その一例でヴィーナスの場合には鳩、白鳥、リンゴ、バラ、貝殻などの他に、「春」に従者的にでてくる三美神、頭上のキューピッドなどがあげられ、絵を読み解くときに、描かれている対象が誰か推定する助けになるというものです。
自分にとっては、アットリビュートの前に、神話に登場する神々そのものがわからないのだから、まあ大分手前にいるわけです。
行きがかり上、少し踏み込むと、ヴィーナスの左側で女性を抱いているのは西の風の神ゼフュロスで、ヴィーナスに西風を吹き付けて、陸地に導いているのだと。
ゼフュロスに抱かれているのが妖精クロリスで、ゼフュロスに強制されて嫁にされ、花の女神フローラに変身するのですが、この二人は「春」の右端にも描かれています。
「・・・レッスン」では「春」は単なる、神話画ではなく、第7章寓意画の項にでてきます。要するに単に、神話を題材にしているのではなく、画家が独自の挿話を、絵の中に描き込んでいる・・・
ということなのですが・・・「春」のクロリスはゼフュロスに抱えながらも、前の女神にしがみつくように描かれています。この女神がフローラで、この絵はクロリスがフローラに変身していく様子を描いたものなのだそうです。
そう言われてみるとそうなのかと判ります。絵を読み解いていくと、ボッチチェリの工夫が色々見えてきて、楽しくなるというのも判るような気がします。
さらに、「誹謗」は寓意画の典型として採り上げられており、ルネッサンス初期の建築家、芸術家で理論家でもあるレオン・バティスタ・アルベルティが著した「絵画論」に出てくる、失われた歴史画の名画、アベレスの「誹謗」に関する著述に沿って、再現を試み、描かれているのだろうということなのです。
ここまで来ると、今の自分には絵を愉しむことが難しいような気がします。今後、古典画を系統的に調べて、関連を見いだしつつ、頭に入ってきて、少しずつ、理解が進むという感じでしょうか。
1枚の絵を理解するために、解説書、参考書を脇に置いて、覚えきれない神々の名前を確認しつつ、神々達のアットリビュートを覚え、さらに神々のお互いの関係とストーリーを追い、時には歴史を辿る。
それはそれで、突き詰めて行くと面白いとは思いますが、この歳になると、ちょっと余裕がない感じがします。
ボッチチェリ展の動画の内容だったのか、テレビで見たのか、覚えていませんが、「誹謗」が描かれた時期はフィレンツェからメディチ家が追放され、サン・マルコ修道院院長ジロラモ・サヴォナローラがフィレンツェの実権を握った時期にあたります。
サヴォナローラはメディチ家の華美を嫌い、シニョーリア広場に美術品を集め、焼却するなとの弾圧を強め、ボッチチェリも「誹謗」のような画風に転身せざるを得なかった、ということを言っていました。
何が描いてあるかの謎解きよりも、画家が絵を描く心象に興味が行きます。