朝、5時頃目が覚めると、少し外が騒がしい。
どうやら宿泊していた釣り人達が活動を始めたようです。
どうせ、もう眠れないだろうと、カメラを持って外にでます。こんなことなら、一眼レフ持ってくれば良かったけど、孫の相手がメインと考えていたので、デジカメしか持ってきませんでした。
デジカメでRAW、ワイファイが使える奴をと色気を出して久しいのですが、未だに、結論が出ないままです。
デジカメに望むことの最重要点はあくまでも携帯性なので、ともかく軽いこと、と言う出発点を忘れていた様な気がします。
その中でより高画質を狙えて、フォルムが自分好みということで絞っていくと、ほぼ決まってきたのですが、どこかで一度触ってから決めたいと思っています。
外にでると、10人くらいのグループがえさの用意や手こぎボートの準備をしています。
準備が出来たボートから順次出て行きますが、年配の女性を乗せたボートは突堤で女性と子供達を下ろし、皆が釣りができるようにえさや椅子の準備をしています。
突堤の準備を終えたボートは再び戻ってきて、陸に残って片付けをしていた人と自分たちのえさなどの道具をピックアップして、漕ぎ出でて、突堤を通り過ぎ、沖に出て行きます。
沖を見ると、おそらく暗いうちからのボートも含めて多くの釣り人達が糸を垂れているようでした。
のんびりと穏やかな海で朝を過ごすのも楽しそうだな、とは思います。
釣りは、じっと耐えるという意味で、見た目、受け身の趣味に見えます。
でも、効率的な釣りをするためには、対象とする獲物の特性を調べ上げ、場所、時間、えさ、道具の選定などの戦術が必要になってくると思うので、人種から言うと、攻撃的な狩猟型人間の趣味なのだろうと。
風を読めずに、吹いた風に流されるままの、風見鶏くまにとっては、まあ、向いている趣味ではなさそうです。
それでも、今朝のおばさんの様に、誰かが全てをセットしてくれて、ついて行くだけの状態があれば、もしかしたら、のめり込むこともあったかもしれません・・・
そのうち家族がぼちぼち起きてきて、7時からの朝ご飯をいただきます。
上の娘が夕方までに帰る必要があるとのことで、1時10分のシラサギに送ることにします。
ゆっくり出来るのであれば、舞若道を初渡りをしようかとも思っていましたが、遠出はできそうもないので、立石の港まで行って敦賀湾の出入り口を見せようかと向かいます。
自分の仕事場を通り過ぎ、ヶ池のバードウォッチングでサギが中の島で休んでいるのを眺めます。
立石港で海を見渡しますが、敦賀湾の延長のように、日本海も穏やかで、静かな水平線が横切り、越前海岸に連なっていました。
海岸を少し歩いてみるか、と岩道を歩き始めます。海面に浮いた標識がいくつかあります。奥さんにあれ何?と聞かれて考えますが、分かりません。
以前、ここを歩いたときには人の顔を見ると警戒して振り返る怪しい人達が潜って居たような記憶がありますので、禁漁の区域を表す標識かな?と。
そう言った途端に、標識のところに素潜りの人が上がってきて、ひもで結ばれた標識を曳きながら場所を変えて、また潜っていきます。
自分の潜る位置を明らかにするための個人標識のようでした。
立石岬灯台の入り口までたどり着き、灯台に昇るには坂を少し歩かなければならないので、帰ろうと提案しますが、ここまで来たら登ろうと。
灯台への道はヤブ蚊が多く、「デング熱」の流行の折から、孫が虫にさされて、妙なことになるのが心配でしたが、無事灯台に到達。
灯台の周辺はちょうど藪を刈った後で、気持ちの良い空間が広がっていましたが、立木は変わらないので、視界は相変わらず良好とは言えませんでした。
灯台の管理の方がいたので、「灯台の点灯はどうするのですか?」とお訊きします。
点灯、消灯と回転起動、停止、全てタイマーで行われる、ということで、訊いた自分が、恥ずかしくなるほどに、当たり前の事実がありました。
結構汗をかき、立石港で冷たい飲み物を購入し、土産物を買いつつ、駅に向かおうと市街に向かいます。
「奥井海生堂」に行くと、なんと職員の慰安旅行で休業との張り紙が・・・
それじゃあ、魚辻を覗きながら、駅に行ってチケットを購入して昼飯でも食べようと向かいますが、8号線から駅に向かう「ゆめさき通り」は7日のお祭りの舞台になっていて通行止め。
駅前の駐車場も満杯です・・・結局アルプラザの屋上階に駐車スペースを見つけて、ホッと一息、魚辻と駅で用事を済ませます。
食事しようと覗いた丸さん屋は待ちの行列ができていて、断念、アルプラザでお弁当を買って再び駅まで送りました。
※追記
コメントを頂き、灯台の歴史を確認しようと思ったら、「市章のいわれ」が記載されていて、面白いので追記させていただきました。
敦賀の市章の外側の輪は敦賀湾を表すのだそうです。
その後に続く文意がよく分からないのですが、真ん中の下部のとんがった部分は「「都奴賀阿羅斯等(ツヌガアラシト)」来朝に因んでその沿革を象徴しています。」とのこと。
自分なりに解釈すると阿羅斯等が敦賀湾を通って来朝した、その来朝の軌跡を示すと言うことなのだと思います。
そして上にチョコンと乗っている三角形が立石岬灯台を表しているのだそうです。確かに灯台の光のイメージといわれると解る気がします。。
敦賀に随分いて、まだまだ知らないことが多いようです。
【参考】敦賀海上保安部”立石岬灯台”
【参考】敦賀市”市章とそのいわれ”